閉幕のごあいさつ
もつんアカウントを辞めると思い立って早半月、明日で6月も終わりますね。
最近はちょっと仕事が忙しいです。
でも残業代は申請してるので、来月の給料は楽しみです。
さてさて、ごあいさつとは銘打ったものの、編入関係のことをつらつらと備忘録で書くだけです。またメモだな。
ちょうど5年前、当時18歳、大学1年の6月に私は編入界隈へと足を踏み入れました。入学した大学の雰囲気になじめず、早くも辞めたいと思っていたからなあ。
浪人も考えたし、高校出て就職すればよかったとも思っていた。本当に大学に行ったことを後悔していた。(今は言ってよかったと思ってます。ありがとう両親。)
そんなときに、授業が一緒になった子が「私編入したいんだよね」これが編入のきっかけだった。
それから近くの大学で編入を行っている大学はあるのか調べた結果、母校がおこなっており、目指すことになった。
5年前、まだ「編入学基礎Ⅰ」はなかったし、なかなか情報を得る手段がなかった。
とにかく同じ志の人とつながりたい、これがきっかけでTwitterを始めた。
本格的に稼働したのは秋ごろ、いろいろな悩みをツイートするとどんどんフォロー
されるようになった。こんなにも編入を目指す人がいるんだなと、勇気づけられたな。
もちろん、大学ではだれにも「編入したい」なんて言えなかったから、そもそも大学に友人があんまりいなかった私としては、Twitterのつながりがリアルだったのかもしれない…。Twitterあったからほんと乗り越えられたよ…。
合格して、今度は人に情報を提供する側になった。
編入学の記事を集めたブログを立ち上げると聞き、ブログに記事を書いてみたり、なかなか体験できなかったことをさせてもらえた。
(編入学基礎Ⅰの方々には感謝しかないです…!)
たくさんの人の相談に乗れたし、合格報告も、不合格報告もしてくれた。
途中で消えてしまった人もいっぱいいたけど(前大学の後輩はみんな消えた…)
楽しい経験だったなと思う。教員にも活きたかな。
ここ数年で編入界隈、大きくなったな。情報を発信してくれる人が増えて、以前より編入の知名度も上がったのでは??と感じる。情報の取捨選択も必要になったけど。
それとともに、自分も随分と長い期間いたなあと。(編入学基礎Ⅰアイコンぶたまんまんだったのどのくらいの人が覚えてるのかな…とか私編入前はTwitter名もっつあれらちーずだったんだよな…いまはもつんが定着したけどとか老害みたいなことをおもってしまう)
5年間ありがとうございました!いっぱいいろんな人と会えてよかったです。知らない世界に足を勇気だして踏み入れてみたらとても楽しかった。
ありがとうございました。
もつん
1週間働いてみて
金曜日で某務員として7日間働きました。
まだちゃんと配属先で働いたのは2日なのですが、ちょっと前職との違いを書いていきたいと思います。
①上下はある
前の職場は非正規雇用、幸いなことに正規の先生とは職員室が別だったので、新人がいろいろやらないといけないがなかったんですが、今はやっぱりあります。
40分前に来て消毒なりポットにお湯いれなりしていますね…勤務前だけど
②初任から精神的な負担がない
でもね、授業準備がないから気持ちが楽。今も勤務時間前に来ているとはいえ、前職は1時間半前に来て、終わらなかった授業準備をしていましたからね。必死で。
③仕事を教えてくれる
当たり前のことですが、前職では勤務開始日からいきなり1人で生徒たちの前に立って授業でした。仕事のやり方なんて誰も教えてくれません。授業を見に来てくれる先生はいたけど、最初の研修とか一切なかったからなあ…。よくわかんないまま授業をやって、これでいいのかなと思いつつ、聞きに行ける余裕がなかったな。
教員も1週間くらい授業見学してからできたらいいのにね(むりか)
今の職場は先輩が仕事を丁寧に教えてくれます。わかんないところはすぐに聞けます。1人でよくわかんないまま「1人前」として放り出されることがないので、安心ですね。
④休憩時間しっかり休める
前職では、とにかく授業準備が終わってないので昼休みもお弁当食べながら教材研究していました。というか、見ながらご飯食べるのが当たり前。かつ、生徒がたずねてくれば対応をしていました。そして休憩時間は「45分」です。4限から職員室帰ってくるとすでに5分経過。そして5分前にはいかないとなので実質「35分」……。
いまは、1時間しっかり休めます。なんか終わってないからやらないといけないがあまりないのがいいですね…(私に仕事を教えてくれている先輩は昼休みも仕事しているけど…制度とはいえ本当に申し訳ねえ…)
⑤仕事とプライベートの区別がつけられる
まあほとんど今までと一緒です。授業準備が終わらないので、授業が終わった後も家に帰った後もずっとずっと授業のことを考えてました。どっちにしても授業準備をやらなくても、「やらなかった」という罪悪感がありました。
今は土日は休むものと思えるので、しっかり休んでも罪悪感がありません。
心の余裕が信じられないほど前と違います。
⑥仕事相手はパソコン
今はパソコンを1日中見ています。で!ほんとブルーライト眼鏡ないときついです。初日はブルーライトなしで仕事してたら、翌日頭痛がひどかったですね…。(ブルーライトメガネは、買ってほしい…)
いままで人間を主に相手にしていたのが、パソコン相手になったので精神的な気疲れは減りました。職場が近くなったこともあり、家に帰っても余裕があります。
⑦残業代とボーナスが出る
すごい!!!!研修で説明されたけど!!!残業代出るんだ!!!!休日出勤したら手当つくんだ!!!!え?!初任でもボーナス出るんだ!!!!!すごくない???
⑧でもやっぱりちょっとさみしい
仕事環境もよくなりました。職場も近いです。6月には人生初のボーナスです。給料も上がりました。
でもやっぱり、さみしいかな、と思うことはあります。毎日「もううるさい~~~!」と言いながら高校生と関わってたので。若い子たちの元気をもらえなくなったのはさみしいね。人の成長を見守れるところとか、なくなってしまったのは残念だったかも。
とくに、去年もってた子たちが今年卒業だからな。いっぱい持ってたから、卒業式とか感慨深いだろうな、と思うことはあります。
とはいえ、人間やりがいだけでは食っていけません。私にはやっぱり無理でした。今、大変な中お仕事を続けられている現場の先生には尊敬の念しかありません。すごいよ。
今のところは転職してよかったな~~~と思ってます。以上、1週間でした。
もつん
1年間を終えて
なんかありきたりな題名になりましたが、先週をもって非常勤講師を退職しました。
ほんと1年間あっという間だった~~~
なんて思ってませんよ!やっと終わった!!!!!!
生徒と離れるのはやっぱさみしいけれど、ずっと退職の日を待ち続けていたので、すがすがしい気持ちです。しかも春休み出現。
6月まで学校が休校だったので実質10か月の教員生活でしたが、いろいろと振り返ってみたいと思います。
労働条件について
今まで散々愚痴ってきた労働条件。もう退職したからいいかなと思いかけるとこまで書き留めます。
・悪かった点(私が辞めた理由)
①1人で生活していくだけの給料はもらえない
週5で正規の先生とコマ数は同じくらい担当してましたが20万円なんて全然行きません。実家なのでなんとか暮らせましたが1人はかなり切り詰めないと厳しいかな。
②担当授業数が多いので、仕事量が多い→負担が多い
(正規の先生はもっと大変だと思います。)
私の場合週9時間分の予習をしないといけなく、予習が追いつきませんでした。プリントも最初から作っていたので、ひどいときは週9枚のプリントを作成して授業内容を考えてました。家に帰っても授業準備。つらい。(残業代も出ないのでサビ残のオンパレード)
③私学共済に入れない
私立の先生は私学共済に加入できると思うのですが、非正規雇用なのか一切そういう保険なり年金には入れませんでした。国民健康保険と国民年金に加入して、毎月自分で払ってましたね。あと年末調整もしてくれないので自分でしないといけません。
④責任が重い
非正規雇用だけど責任はいっちょまえに取らされました。成績処理も自分がやります。担当生徒がやらかせば面倒を見るのは担当教員です。責任は担当教員になります。うっかりしていると1人で責任を取らされることになります。
◎まとめると、仕事量も多いし責任も重い割には保障もないし給料も少ない
しかも来年度からは住民税も入ってくるので、給与がどんどん下がります。いまより所得が下がるのはうーんと思っていましたし、この仕事量に耐えきれる気がしなかったので辞めました。
・良かった点
①人間関係は良好
比較的余裕のある仕事だからか、職場の先生たちはみないい方ばかりでした。相談にもすぐ乗ってくださる方ばっかりだったので、人間関係でもめたことはありませんでした。問題があるような人はいませんでしたね。
②授業が終わったらすぐ帰れる
契約内容が基本的には「授業」のみなので、朝早く来る必要もありません。授業が始まるまでに来ていればいいので、時間的な制約は少ないです。授業が終わればすぐ帰ることも可能です。 まあ、すぐ帰れるなんてまやかしでしたが…
授業数が少なくなった3学期はそんな感じでしたね☆早く帰れるって最高!
③授業がなければ休み
学校行事などで授業がなければ出勤しなくていいので、平日に突然休みが出現します。休み最高。なので春休みとか夏休みとか冬休みありました。いえええええい!!!!
④教員としての勉強はしやすい
むしろ、「他の先生の授業をいっぱい見に行け」と言われていました。
授業見学はお願いすれば快く見に行かせてもらえました。いろんな先生の授業を見ることができたので、技術とかやり方は吸収しやすかったなと思います。
さらに、研修制度がありました。(たぶん非常勤までしてくれる学校はあまりないと思う)自分の授業をベテランの先生が見に来て指導してくれるので、「自分だけではわからない欠点」をすぐわかるところはよかったです。
◎まとめると、教員として成長できる制度はある程度はある
非常勤という形態はあまりお勧めはしたくありませんが、教員やってみたいな~という人は1年くらい経験してから正規になってみるのもいいのかなと思います。
あとコロナ禍のなかで、「資格を持っている」強さを実感しました。4月~6月の2か月間休校でしたが全額給料出ました。初任給不労所得です。
やっぱり、「専門職」はつよいなと思いました。本当に。(おそらく人を確保しないといけないから)
辞めたけど、教員やってよかったと思います。夢だったし。
最近夢に教えていた生徒が出てくるので、まだひっぱるのかな。
明日からは某務員になるので頑張ります。
おわり もつん
日常~好きなことがいやになるとき~
今日は2度目のエンカを果たした日でした。
ずっとお会いしてみたかった方なので会えてよかった。
めちゃくちゃガレットおいしかったです。そば粉ですね。
またガレット食べたいな。
今日は、思い付きの話です。
「好きなことを仕事にしたい」
誰もが思うことなんじゃないかと思います。私もそうでした。苦手なことは仕事にしたくない、好きな事をやってお金がもらえるなら最高じゃないかと。
学生時代から歴史がとても好きで得意だったので、これを仕事にしたいと思い、教員を目指しました。非常勤でしたが教員の職にはすぐ就けました。
社会は好きだから授業準備も苦にならないはず。好きなことを学んで仕事になるなら最高だ!と。
はじめて教科書をもらった時、ワクワクした記憶があります。
でも、いざ、仕事となると。うまくは行きませんでした。
まず、授業準備が間に合わない。
新人にしては多めのコマ数を持たされていたので、毎日多くの予習をする必要がありました。しかもプリントも作らないといけません。
なにもない状態から授業をするための土台を作り上げなければならず、「時間が足りない」状況になってしまいました。
毎日遅くまで職員室に残って、明日やる授業の内容を予習して。家でもやって。プリントが作り終わらなければ翌日1時間前に来て急いで印刷をする日々。(「「残業代」ってなあに?」)
不十分なまま、教壇に立って授業することも多くありました。どんどん自信がなくなっていって、授業をするのが苦痛になってしまいました。好きなことが「重荷」になりました。
当然、生徒の反応も良くありません。だって私が楽しく授業していないから。
2か月くらいたった後、テレビの歴史番組が観られなくなりました。自分が取り扱った時代の内容はとくに。うまくできなかった記憶が出てきてしまうからです。
あんなに好きだった歴史が、いやになってしまいました。
それから「好きなことを仕事にするべきではない」と感じ、仕事とプライベートは分けようと思うようになりました。
あと、好きなことを学んでいるのに「これは仕事なんだよな」と思うようになってしまった。私は仕事とプライベートの境目が曖昧になってしまい、とどのつまり「休んでる気がしない」状況に。
「好きなことを仕事にしたい」
こう思うのはある意味当たり前だと思います。楽しめた方が絶対いいですもん。
でも、「好きなことを仕事にする」ということは、「好き」だけじゃ務まらない、「いやなもの」になるかもしれないという覚悟が必要なのかな……。
好きなことが嫌いになってしまうのは、つらいことなので。
私がもっと強かったら。もっと計画的に授業準備ができる人間だったら。嫌いにならなかったのかな。
生徒には申し訳なかったなと今でも思ってます。ごめんね。
まあ今はもう平気ですけどね!!!!!!!!!!バンバン歴史番組観ても平気だよ!!!!!!!
以上、好きなことを仕事にすることはできても続けることは難しいという話でした~~
も詰ん
備忘録⑤~公務員試験(2次試験②)
今週は木曜が休みだったので週4稼働で済みましたね。週4くらいなら人間働けるね。
昨日でようやくいろいろと終わりました。詳しいことはTwitterに書きましたが、花を少し持たせてやりました。ほんと、やれるなら最初からやってよおお~~
この数週間、ストレスがひどいせいかよく寝れました。昼間3時間寝ても夜余裕で寝れます。よかったのか悪かったのか。あと目の下がちょっと腫れたり鼻筋が痛くなりました。ですが昨日終わったら腫れも痛みも弱まりました。ストレスフル!
さて、公務員試験最終回です。
公務員試験2次試験編②
論文と集団面接
論文試験
2次試験二日目は集団面接と論文でした。まず論文からでした。
時間は90分くらいでしたかね。
内容は「防災について」(あまり詳しく書くとばれちゃうので少しぼやかします)
原稿用紙2枚くらい配られた記憶があります。8割くらい書いたかな。
時間配分は、
①構成を考える→5~10分くらい
②のこりで本文という感じでしたね。
ここは編入のときの経験が生きました。小論文はいきなり書くのではなく、構成と主張を考えてから書けという中〇ゼミナールの教えが。
幸い、過去に被災経験があったのですらすら書くことができました。市役所が防災のためにどんなことをしているか、受験生のなかで一番知っていた自信があります。そういう立場だったので情報が入ってきやすかったんですよね。
残り10分くらい残して小論文が書き終えたので、あとは誤字脱字のチェック。余裕をもって終えることができました。
それから時間を挟んで集団面接へ。最初の方のグループだったのでさっさと帰れそうでラッキー!
何分かごとに場所を移動し、待機。ここで私は失態を犯してしまいます。
ウトウトしてしまいました。(寝てないと信じている)
朝も早かった。昨日もがっつり仕事だった。私は疲れているんだ。論文もじっくり書いたから頭も使ったし、糖分が足りないんだ…。
椅子に座って待ちます。ひたすら閉じそうな目を開けました。幸い私は姿勢を崩さずウトウトするという技術を持っていたので、おそらく…ばれていなかったと思います。
お分かりだと思いますが絶対に寝てはいけません。待ち時間に。でもきっと眠くなります。だから気を付けて。足とか腕を必死につねったりして寝ないようにしましょう。待機時間も過ごし方も見られていると考えた方がいいと思います。待ち時間も、休憩時間も全部「試験」です。
(社会人の方は…本当に仕事のなか受けに行きますから…疲れとか…半端ないと思います…学生の方も…バイトとかで疲れるよね…でもね…駄目だよ…)
集団面接編
そしていざ順番が来て面接となりました。5人対3~4人くらいだったかな。受験生が5です。簡単な自己紹介を最初にしたと思います。このときポイントです。ほかの受験者の名前は覚えた方がいいと思います。(就活のときにも言われた)
聞かれたことは、
①市役所職員として重要なこと
②1日のルーティンのなかに何か新しいことを入れないといけなくなったらどうするか
③ストレスがたまったらどうするか
④今日の面接に点数をつけるなら何点か
(あとは忘れました!思い出せません!!!!!)
だいたい面接でよく聞かれることが多かったです。答える順番も指名制だったり挙手制でした。私はすぐ答えが思いつくタイプではなかったので挙手制の場合はだいたい最後に答えてましたね。面接は圧迫ではなかったです。
これは私の自論ですが集団面接は、答えもすごく大切ですが、それと同じくらい「ほかの受験者の話を聞いているか」も重要です。ついつい答えを考えるのに必死で耳を傾けられないこともあると思いますが、それはよくないと思います。
ほかの受験者が話しているときはその人の方向に体を向けて相づちを打つ、聞いているという姿勢を示すことが必要です。(と思う)
1つ面白かったのは④の点数を答えるとき、私が最初に答えたのですがみんな同じような点数を言ってました。びっくり。
これで試験は終わりました。長かった。あとは合否を待つだけ。とりあえず本当に社会人は試験を受けることが難しい…。
おわりに
これで公務員試験の話はすべて終わりになります。社会人で受ける人はまず有給を錬成できるよう頑張ってください。学生の方は時間がそれなりにあると思うので受験する自治体をよく知ってください。私はよくわからないまま受験することになりましたが何とかなりました。基礎学力とコミュ力があれば何とかなるかもしれない…!!
ではでは。
も詰ん
徒然とつらみざわ(意味は分かってない)
ごあいさつ
最近これでもかとくらい職場関係で嫌なことばかりです。
人生2,3番目くらいに来るぐらい本当にすごい厄月(月でいいのだろうか…)2月1日から泣いてばかりです。ということでコンプラに違反しないか、特定されないように最近のできごとをまとめていきます。
メンタル豆腐だから強い口調で言われると心がぼっきぼき
まず発端は1月下旬でした。まあやらかしてくれました。そりゃもう盛大に。もう3月で終わりなんだから最後くらいはやらかさないでくれよおおおと思ったんですがやられました。ここから地獄が始まります。
本来は私の仕事はここで終わりでした。だって非正規だもん。
と思ったのもつかの間、週が明けたら急に私に責任が鬼のように降りかかってきました。「あなたにかかっている」「あなたのせいになる」「あなた次第」「なめられている」
えらい人オッサンたちからグダグダといわれ、メンタルは崩壊寸前。もう怖い。
いまでこそ
「しらね~~~~~かってにしろ~~~~新卒ペーペーに責任擦り付けるんじゃね~~~~~」と思えますが、いざ人は立場が強い人から言われると何も言えないものです。
涙目でハイハイ返事をし、泣きながら家に帰りました。
一人暮らしではなくてよかったと思います。親に愚痴って何とかメンタルを取り戻しました。いっぱいその日は泣いた。
もうやるしかないと思って、明日は頑張ろう!とその日は寝たわけです。
立ち直りさあ今日から頑張ろう!と思った矢先、次の勤務先から電話がかかってきました。これでまた号泣することになります。
私の仕事は「評価」されないー4月からも新卒
「もつんさんは在職証明書を出さなくても大丈夫です。」
在職証明書とは簡単に言えば転職先で前職の職歴を示しお給料に反映してもらうためのものです。社会人という自覚はあったので、必要なんだと思ってました。
ですが、これがいらないということは「あなたの今の仕事は職歴にならないから給与は新卒と一緒だよ」ということなのです。これでまた泣いた。お給料が上がらないこともつらかったけど、それより今やっている仕事に対する私のこれまでの「がんばり」は無かったことにされちゃうんだ。「非正規雇用」だから。授業数は正規と同じくらい持っていて、ある程度責任もあるのに。
自分の「がんばり」を一気に否定されたような気がして、本当にどうしていいかわからなかったです。そのあとの仕事も呆然としたまま何とか乗り切りました。
まあ最初の辛かったことを同僚に話したのですが「仕方ないんじゃないすか」と一蹴されました。もはや草。お前も同じ目に合えばいいのにと思います。
本当に本当に明日からバックレても4月からの給料は変わらないのか…と思うとバックレてやろうかなと思っていたんですが、今んところなけなしの正義感だけでなんとか仕事しています。まだバックレる可能性はあります。(言い切る)
週末は優しい上司の方が私の勤務時間を心配してくださって、声をかけてくれました。まあそういっていただいても、「こんなことになったのは私の責任」でもあるらしいので、頼んで帰れませんね。もう辞めるからいいやとできる人間になりたい。
給与も新卒になるなら職場でも新卒アピールしようかな……
とどめの いちげき ~今度からはボイスレコーダーを添えて~
そんなこんなで週末休んでさあ週初め。早速クソ上司から呼び出されてこんなことを朝から言われました。
「やばい状況にしちゃったんだからさ」「半分はあなたの責任だよね」
えっ (「は?????????」)
まあそれにハイハイ言いながら、そう言えば、早く仕事が終わる日は正規に任せて帰っていいといってくださってたな、ほかの上司が…と思いそのことを伝えると、
「気持ちがないなら俺たちに任せて帰ればいい、気持ちがあるなら残って面倒を見るべきだ」
と言われました。ハイこれ残業の強要~~~~!!!!残業代出ないのに。「サービス残業の強要」まじでボイスレコーダー持っていけばよかったと後悔しました。
正直気持ちもそこまでないし帰りてえと思いましたが、そんなこと言えるわけありません。ほんとに言い方卑怯だ。
「(なんかあったら)気軽に言ってね」とそのあと言われましたがびっくりしました。こいつはサイコパスか???????????え、だってお前今「帰るな」って遠回しに言ったじゃん。さも私が帰りにくいようなこと言って。
今までこの上司のことはそこまで嫌っていないかったのですが、これで本当にダメになりました。それから帰って大泣き。びええええええええん。なんとかメンタルを持ち直し、仕事を開始していきました。
ほんとうに今日はTwitterなければ乗り切れなかった。てかTwitterないと無理でした。ありがとうございます。
こんなことが最近ありました。とりあえずこの職場は長くいなくてよかったし、辞めることになれてよかった。あとやっぱり非正規雇用への世間の目は厳しい。
そんなことを思い知った1週間でした。
ひたすら週末までクソ上司の後頭部を見かけしだい「はげろ」と念じ続けたいと思います。あとこんな上司にならないぞと強く心に誓って。
もつん
はてなブログってすごいね
ただ思っただけなんですが。
今まで設定とか全然よくわからなくてとりあえず初期でやってました。
omochininaritai‘sdiaryというなんともな名前だったんですがようやくかっこつけにならなくなりました。まあひらがなにしただけですが。
すごいね。こんなにデザインとか変更できるのね。面白い。
今度は写真を載せたいな。
ちょっと感動しております。
きょうはあったかいので花粉がすごそうです。
も詰ん