おもちになりたい

春から某務員になる現在教員の日記。ドラニコフになりたい。

備忘録④~公務員試験(2次試験編①)

今日はほんとうに2時間昼寝してしまったので寝れません。なのでブログを2本目書こうと思います。1時まで起きているの久しぶり。

マイナンバーカード作ろうと思ってます。まいなぽいんとほしい。

さてさて、公務員試験2次試験編を書いていきます。ご参考までに。

 

公務員試験2次試験編①

2次試験は、2日にわかれていました。10月と11月。おかげで2回も有休をとらないといけなくなったんですけどね。ハッ。

個人面接と性格検査、集団面接、それから論文です。とりあえず面接対策を行うことにしました。

 

個人面接について

1-面接準備

なんと日程が勤務先の中間考査とだだかぶり。採点てね、結構忙しいんですね、、、。あと私の誕生日の近くでした。10月生まれです。まあそれはしょうがないとして。

 

1次試験合格後、「面接シート」が送られてきました。おそらく面接の参考にするもの。質問内容をざっくり書いておくと、

①○○市の良い点、悪い点

②あなたの長所と短所

③○○市職員になったらやりたいこと

とかだった気がします。だいたいネットで検索すれば出てくるような質問が多かったですね、、、。書き方もよくわからなかったのでとりあえずネットの例を参考にしながら、自治体のホームページ・広報誌を熟読しました。

自治体が何を強みにしているのか、反対に何に今後力を入れていきたいのか、調べて一応自分なりの考えはまとめました。あと父に見てもらったりしました。地元受ける方は本当に情報がよく見るとまわりにいっぱいあるので、家のなかを探しましょう。(笑)

面接準備はこのくらいです。言う内容をそれなりに真面目につくったという感じですね。仕事もしっかりあったころだったので、面接練習もろくにせず、「まあ毎日人前でしゃべってるからいけるっしょ!」の気持ちでした。いけました。そこは職業的に利点だったなと思います。

逆に、大学生だとなかなか人前でしゃべる機会はないと思うので、面接練習とはいかなくても人と話すことはしておいた方がいいと思います。こんな状況だと余計にね。

 

いざ本番!

会場まではスーツを着て自転車で行きました。早く着きすぎたのでまだ会場が整ってませんでした。あと検温をしたのですが、外の風に当たりすぎてすごく体温が低く出てしまって心配されました。平熱もひくいんだよね。

面接順番は行ったらわかるという感じで2番目でした。ちょっと心の準備ができるからいいよね。

まず性格検査?だったかなと思います。毎回これをやる意味がよくわからないなあと思いながら常識的な範囲の回答をしました。短かったな。

 

次に面接でした。コロナを踏まえてか、電話で呼ばれるのちょっと新鮮でした。

必死に就活時の面接マナーを思い出し、いざ入室。えらい人4人くらいと私、4対1だったかなと思います。おじ様しかいなかったので本当に威圧感がすごかった。

聞かれたことは、

①志望理由

②志望理由についての付属質問(ちょっと雑談的)

③面接シートについて(すべて聞かれたわけではなかった)

④今の仕事を辞めたいわけ

⑤今の仕事に未練はないのか

⑥高学歴だけど地道な仕事はできるか

⑦自分についてどう思うか

とかでした。15分くらいかなと思います。まず被災者だったので生活再建の心配はとてもしてくれました。やさしい。

そのあと面接シートについて質問、それから今の仕事についての質問でした。

社会人で受ける方は絶対これはほぼ聞かれると思うんですが、「今の仕事を何で辞めたいか」しっかり考えておいた方がいいと思います。前向きな理由で。

これは個人的な意見ですが「職場環境が悪いから」とかストレートに言うのはやめておきましょう。私は「仕事量が思ったより多くて本来自分がやりたかったことができなかった、なので先生たちをサポートしたいと思った」みたいなこと言いました。

あと、⑤の未練も聞かれやすいのかな、と思います。すぐに辞められたら困りますしね。私は「教員はもういいの?」と言われたので、「もともと2年間で結果が出なければ新しい道で頑張ろうと決めておりました。教員に未練はありません。」と言い切りました。本心は「絶対ありません!!!!!!」です。

 

⑥については、まあこれは本当にたまたまなんですがえらい人と出身大学が一緒だったんですね。あと田舎だったのでそこまで私とおなじような国立大学卒はいません。学歴はここだけの話文句なし、めちゃくちゃ優秀なとこだよねと言われ、出身大学のことを持ち上げてくれました。(やったー)

「優秀な大学出ているけれど、ちゃんと地道な仕事はできる?」

この質問がきたとき、いけるかも、と思いました。大体未来のことを聞かれれば私の経験上は受かっていたので。

このあとは雑談という感じでした。圧迫という感じもせず、緊張はしましたが何とか乗り切れました。

 

これが面接です。参考になれば。まあこの帰り道人生初の職質を受けました。もちろん無実です。なんもしてません。みんな!平日真昼にスーツでいてかつ挙動不審だと怪しまれちゃうぞ☆(授業でネタにして生徒に笑ってもらいました。いいネタができた。)

 

さすがにそろそろ寝ます~~~~おやすみなさい。

 

                                も詰ん

 

 

 

日常~お金をつぎ込める対象がほしい~

はじめに

気づけば日曜 明日は仕事 また補習 wowwow

思えば先週は不運続きだった。

詳しいことはツイートからお察しだと思いますが、社会人になってから断トツのつらい出来事だったぜ…(慰めてくれた方、本当に本当にありがとうございました。モルカーあれで知りました。かわいい。)

とまあネガティブも詰んでしたがなんとか立ち直りました!最近は家でずっと職場の愚痴を言っててそろそろ親にウザがられてます。一人暮らしだったら絶対壁に話しかけていたと思う。

オタクなのか、オタクじゃないのか

そういえば最近、『腐女子のつづ井さん』にはまっている。私は「腐女子」ではないけど、めちゃくちゃ彼女の日常に元気をもらえる。どんなに落ち込んでても、くすっとしてしまう。つづ井さん、めちゃくちゃ面白い。だいすき。文庫本買った。

彼女、彼女の友達みんな「オタク」なのである。「推し」がいるって、やっぱいいなと感じる。

まあ、昔からオタクの人を描いた漫画はかなり好きだった。腐女子ではないけど腐女子を描いた漫画はかなり好きだった。なんだろう。BLは結構抵抗があってどちらかというと苦手なのだが。私も結構漫画は読む方だけど、オタクにはなり切れていない気がする。オタクってどうしたらなれるんだろう。

 

昔からトトロは大好きだし、今も毎月数冊漫画は買っていると思う。でも何というか、世にいう「オタク」の人たちのような熱量が自分にはない気がする。

 

「推し」はいるけれど、(今はドラえもんズのドラニコフ)現在進行形で供給があるわけではないし、もはやいまは公式からの供給は断絶している。悲しみ。日々youtubeでドラニコフの情報をあさったり、フリマアプリでグッツを見るばかり。もう公式にお金を入れられないのがつらい。

なので、生きている(次元問わず)推しを今まであまり推してこなかったような気がする。ちょっと前に若手俳優沼(「戦国鍋TV,戦国炒飯TV」)にはまりそうになった。好きだった俳優さんのブログの読者登録をして、毎日ブログが更新されるのを楽しみにしていた。

けど、ここんところ、そのブログも読まなくなってしまった。生きている推しがいなくなってしまった。冷めてしまった気がする。

 

ここまで書いてきておもったけど、もしかしてただ熱しやすく冷めやすいだけで、私はオタクと言っていいのかなと思った。うーん、どうなんだろう。

 

べつにドラニコフが死んでるわけではないんだが、活動がなくなってしまうと当然お金をつぎ込める対象には限りがある。DVDやグッツの発売日をワクワクしながら待つあの感覚が感じられないのは寂しい。

 

とくに今社会人、安月給だけど格段に自分の趣味に使えるお金は増えた。でもなんか、まだ心からお金を定期的につぎ込める(常識の範囲内で)ものに出会えてない気がしてならない。つぎ込めたものはあったけど、供給が止まってしまったからなあ。

 

とにかく仕事を頑張るモチベになるものに出会いたい!!!!という話でした。

 

                             も詰ん

 

 

 

幕間~教員と中学生の私とそれから

今回は公務員の話ではなく、コンプラを意識して「なんで教員になったのか、なぜ高校なのか」という話を書きます。大半は私の暗黒時代の話です。

というのも、まあ採点疲れから母親と昔の話をしていて、ちょっとどこかに書きたい気持ちになったからです。

あと1科目採点はあるんだよな、また血圧が上がる気がします。泣

 

なぜ教員になろうと思ったのか

中学生の時に、仲が良かった友人が学校に来れなくなり、友人がそこまで思い詰めているのに気づけなかった、そんなふうに悩んでいる人を助けたいと思ったのがきっかけです。

そのときは、教員というより臨床心理士になりたいと思っていました。ですが、調べていくうちに大学院に行かないといけなかったり【多分】、資格が更新制だったり(多分)で大変そうだということ、あとは心を病むよと言われ断念しました。

じゃあ、どんな仕事が臨床心理士に近い仕事ができるだろう?

そのときに思ったのが「教員」でした。生徒たちの近くにいるし、手を差し伸べられる存在になりたいと思い目指していくことになりました。

中学生のころなんかは絶対教員なんかならないと思ってたんですけどね。不思議ですね。(笑)

 

なぜ社会科なのか、高校なのか。

社会科を選んだ理由は、社会科が得意だったから、それに尽きます。歴史も公民も得意だったので、「好きな科目を勉強していける仕事なんて最高」と思ってました。まだまだ子供でしたね。

なぜ高校にしたのか。これは私の闇が出てくるんですが、よく言えば「高校が楽しかったから」、悪く言えば「中学は死んでも行きたくなかったから」です。

まあ小学校は大変だというのは聞いていたので最初から選択肢にはありませんでした。

 

中学生時代

中学にいい思い出がある人はうらやましいなあと思っております。私は中1からずっと部活内の人間関係が泥沼になり(つまんねえ争いに巻き込まれた)、中3ではぼっちでしたからね…(遠い目)

中3のときに前述した友人が不登校になり、私はほかに仲の良い友人もおらず、作れず、まわりはグループが出来上がっている。そこには入れないし、いわゆる「ぼっち」でした。学生時代のあの「一人は恥ずかしいこと」とすごく思ってしまう感覚ってなんだろうと思います。「友達がいない=絶望」みたいなやつ。

(今ではそこまで思い詰めることもないんですけどね。高校生になってからは1人で立ち食い蕎麦屋にも行けるようになりました。大学生のときは旅行もいったなあ。)

なので、学校に行くのが本当に嫌で嫌で仕方なかったです。性格もそもそも社交的ではないですし、地味で暗かったのでいわゆる「カースト下位」な感じでした。そういえば、居心地が悪かった原因は「スクールカースト」もあったなと思います。

元気のいい人がクラスを引っ張って落ち着きのある子たちを「地味・暗い」といって自分たちより劣っているみたいにクラスを構成するやつ。

なかなかクラスにはなじめず、休み時間は寝ていました。寝る人の気持ち、とてもわかるよ…!!!

 

ということで、中学時代は「地味だ暗いだ目立たないだ」いろいろ表なり裏なりで言われてきました。それに加えて、担任の通知表の所見に「いつも友達に囲まれている。学校生活を順調に過ごしている」みたいなことが書かれていて「こいつ何も私のことみてねえな」と教師に不信感も抱いてました。(繰り返しますが、「ぼっち」ですよ)いい思い出がなかったので、「中学の先生にはなりたくない」と思っています。

 

メンタル強つよだったら、「そういう子を助けたい」と思えたかもしれないけどね。

そもそも、教師って学校楽しかった!最高!っていう人、スクールカースト上位だった人がなることが多いんじゃないのって大学のときゼミの先生に言われました。「カースト上位でクラスを支配できた」という成功体験があるからね、と。そういえば、教育学部の人は陽キャばかりだった気がする…。

私に先生は向いてなかったのか…?????(自問自答)

でも絶対そんな先生ばかりだったら困る。陰キャのメンタル激つよ先生を現場は求めていると思う。

 

それから

中学生は散々でした。高校も第一志望の公立校に落ち併願の私立校に進学しました。どん底で始まった高校生活ですが、雰囲気が似た子が多かったのとやさしい子が多かったのでとてつもないくらい楽しかったです。

いまでも中学のことを思い出すと「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬ…」となりますが、高校・大学が楽しかったのでオッケーと思うようにしています。やっぱり高校から自分の雰囲気と似た人と一緒になるから過ごしやすいね。

あとこれを書くとすごく意地が悪い人になるんですが、幸い中学で私の陰口を言っていた人たちよりもいい大学に行けました。とくに記憶に残っているやつは、大学受験を失敗して2浪している情報のあと行方が分からないので正直ざまあみろと思っています。

(あと私のこと無視してたくせに成人式で普通に声かけてきたあいつのことを私は忘れていない。)

なので中学のことを思い出したときは「まああいつらよりいい大学いきましたし?」

と心の中でマウントをとるようにしています。だいぶやばい人ですが許してください。

だってせっかく頑張って勉強したんだもの。マウントくらい心の中でとらせてほしい。

 

今日は中学のことをいろいろ思い出してしまったので書いてしまいました。心の闇を吐き出してしまいましたが今後ともよろしくです。明日も授業なので寝ます。ではでは。

 

も詰ん

備忘録③~公務員試験受験(1次試験)

これから1週間職場が休みになるので、まとめてみようと思います。

共通テストが終わりましたね。担当の生徒はあまり受けに行ってなかったみたいですが。まあ時勢が時勢ですしね。

この休みで共通テスト日本史を解こうと思います。

ではでは、今回は試験編①に。

 

1次試験~まさかの日程~

 

9月某日、遂に試験となりました。1次試験。どきどき。

ちょうどこのときは4連休だったんですよね。今年は4連休が多くてうれしい。

 

一応後期試験だったので、30代くらいまで?受けれるようでしたがほとんど大学生みたいな20代前半の人たちが多かったですね。

服装はオフィスカジュアルみたいな感じです。よくスーツやさんとかに売ってるブラウスとパンツで行きました。全体的には圧倒的にスーツが多かったですかね…?

すごかったのはTシャツとGパンの人がいました。つよい。でもたしか落ちてたな…。

(服装はスーツでなくてもオフィスカジュアルくらいにしておいた方がいいと思います)

 

試験会場に行きさてさて、担当の人がきて試験について、今後の日程について説明してくれます。そうかそうか、この結果は9月末に出るのか、で、2次は10月ですねーーー

と思った時。

 

「2次試験は、10月〇日と、11月〇日です。(両方がっつり平日)」

え?平日だよ両方?え?有給取らないといけないよ?へ?土日じゃないの?????

 

めちゃくちゃ動揺しました。わかるよ、土日はお休みだもんな、でもさ、有給取れなかったら試験受けられないってことなのね。社会人にやさしくないね。

ちょっと都会の市役所だと土日にやってくれるとこもあるみたいですが……。

(社会人のみなさん、おそらく有給をとらないといけなくなります……)

そんな衝撃の事実を聞かされながら1次試験が始まりました。

 

1次試験の内容

一般教養 マークシート方式 90分(たぶん…)

適性検査(なんかよくあるやつ、15分とか短かった)

 

さきに適性検査だったと思います。なんか事務処理みたいな感じでした。教習所でやるやつと似てたな。これは特に対策はしなかったです。ただ、丁寧に解くことを心掛けました。(あんまり数は解けなかった)

その次に筆記試験だったと思います。教採の一般教養よりは難しい気がしたんですがまあ難易度は普通だったと思います…。一応試験時間内に解き終わって見直しもできたので。対策本をしっかりやればふつうに解けると思います。去年受けたような規模の大きい公務員試験よりは難易度は下がっていると思ったな。まあ市役所だしね。

 

そんなこんなで1次試験が終わりました。

まあ試験の結果と同じくらい、「やばい、有給取らないといけないけどこの仕事で有給をとれるのだろうか、、、、、」「職場にばれないだろうか、終わった…」と有給のことを気にしてましたね。

 

結論としては、有給は何とか取れました。まあほかの日にしわ寄せがいったんですがね…。学校人足らなすぎだと思いました。(ちょうどテスト期間だったので監督をほかの日と変わってもらったり”この時点で有休ではn”、授業交換をしてもらったりと結構めんどくさかったです。)理由も聞かれず有給が取れたので有給問題はなんとか解決しました。

 

とりあえず今回はここまで。

③~公務員試験おわり

 

 

備忘録②~公務員試験受験まで

またかくかく詐欺しそうになりました。

最近のつぶやいているとおりドラえもんズにはまっています。再燃してるね。熱が!

とくに私はドラニコフ推しです。ほんとこの土日ドラニコフのことしか考えてないわ…

ぜひぜひ!ドラえもんズ好きだったよ~という人は推しドラを教えてください。

 

今回は、試験受験までを書いていきます。

まず、前回出願をしたわけですが出願の内容について少し。

社会人あるある「履歴書・志望理由書は誰に見てもらうか」

学生だとゼミの先生とか先輩とか見てもらえますよね。私もゼミの先生には現役のころ、見てもらってました。ですが、社会人になるとそういう人はなかなかいなくなります。学生の皆さん、ゼミの先生とは仲良くしておきましょう。

いわゆる教授とは卒業しちゃうと疎遠になりがちですよね。私もあんまりいい思い出はなかったんですが、一応「今後なんかあったら頼りにしてください」と言ってもらえる付き合いをしていました。まあ今回は頼らなかったんですが。

じゃあ誰に見てもらったかというと私の場合は父親でした。父も公務員なので現職の目で見てもらえてありがたかったです。

これがもし教採なら職場の先輩の先生とかに見てもらえたかな。

人にやっぱり履歴書・志望理由書は見てもらった方がいいと思います。親でもいいですし、友達でもいいと思います。やはり自分だけだと主観的になってしまうので。

 

ちなみに、履歴書・志望理由書で聞かれたことは、

➀志望動機 ②自己PR  ③趣味

でしたね。➀志望動機は昨年災害があったのでその話を(被災者だったので)

②は高校の話を、③は旅行とか書いたかな。(面接でもっと詳しく書きます)

 

ここら辺が出願の内容です。

社会人の夏休み~~

まず!今の仕事には夏休みがありました!授業がなければ仕事はない!けどお給料は出してくれます!万歳!社会人になっても夏休みが出現するというめちゃくちゃラッキーな身分でした。(とはいっても2週間に短縮されてはしまいましたが)

さて公務員試験を受けるとなった8月、私は来る試験に向けて参考書を買いに行くことにしました。(私が受けたのは9月の試験。C日程とかいうのかな)

お恥ずかしながら同じ公務員でも一般職の方はまったくどういう勉強をすればいいかわからなかったので参考書に頼ることにしました。(専門試験がなく、一般教養だけでよいというのも知らなかった)

 

使った参考書は2点です

『超重要!公務員試験過去問題集地方上級』成美堂出版

演習問題がついてたのと解説が詳しそうなので選びました。わかりやすかったです。

『最新最強の地方公務員問題 上級』成美堂出版 

読み物としてほしかったので買いました。ケチってブックオフで購入。

両方成美堂なのは私の好みです。(笑)

結果としてはやっぱわかりやすかったです。

 

勉強方法は、とりあえず問題を解いてどういう問題が公務員試験に出るのか把握しました。論理的思考力?を問う問題とかがとくに苦手だったので、「解法」をとにかく読み込みました。数学と理科が苦手だったのでそこ中心でした。英語と国語と社会より、理数系が解けないと難しいのかな?とおもったのであとはひたすら繰り返し。

 

といってもそこまで毎日ずっと勉強できたわけでもありませんでした。

もともとあまり計画的にできるタイプではなかったので、気が向いたときに勉強する形でしたね。それでも、教採の勉強をしてきてたので少しずつ解けるようになってきて、何とかなるかなーと思い始めたとこでした。夏休みはこんな感じですね。

 

小話プレイバック~大学生のときの公務員試験の話

実は大学4年のときにも一応公務員試験は受けているんですね。教採の練習になればと思い。(あわよくば受かりたかった)

大学職員と私学共済の職員でした。一次(筆記)で普通に落ちました。

教員採用試験の勉強もしてたし、正直いけんだろってあのころは思ってたので、なめてかかったらまあ難しい難しい。教採の一般教養は解けたのにこっちは歯が立ちませんでした。これで公務員試験への自信喪失。

 

この年、教採に落ちた後、母親には地元市役所の受験を勧められていたのに受けませんでした。まあ公務員試験(全然種類は違いますが)に落ちてたので受かる気がしなかったんですね。加えて、とても頭がいい友人がいたんですが、その友人でさえ市役所には受かっていなかったので市役所もきっと難しいだろうと思って、受けることさえしなかったんですね…。

 

(まさか一次が一般教養だけだとは知らずに・・・・・)

 

2学期以降の話

さて8月下旬から2学期でした。ここからは本当につらかった。

授業が入ってくるので本当に忙しい。準備もしなければいけないけど公務員試験の勉強もしないといけない。

仕事が始まってからは、職場で授業準備を終わらせ、電車ではブックカバーをした参考書(ブックオフで買った方)を読み、自宅で公務員試験の勉強(最新版のほう)を行うというようになるたけ仕事を家に持ち帰らないようにしました。

勉強する場所をしっかり分けたのはよかったと思ってます。おかげでメリハリがついて多少勉強が進みました。

あと気を付けたのは毎日参考書を見ること。

そんなこんなで、2学期はじまって1か月ほどで1次試験になるわけです。

 

②公務員試験受験まで~おわり

 

備忘録➀夢破れるまで~

とりあえず、公務員試験を受ける経緯を書いていきます。

自分に対してかくかく詐欺にならなくてよかった。

あと、はてなブログ、三回くらい登録してるのにいつもパスワード忘れる…Twitterのパスワードも何回も忘れる…やばいのかもしれない…

 

こんにちは。も詰んです。現在職場は冬休み中でただいまニートみたいな生活を送っています。現実を見るために、少しずつ体験談を記録していきます。

 

よくほかのフォロワーさんがブログ書かれててそれを読むのが好きでした。真似してまあ書いてみよう!と思い立ったわけです。少々お付き合いください。

 

教職に心打ち砕かれるまで…

去年の4月からとある高校で非常勤講師というものをしています。というのも、大学4年のときに教員採用試験を受験し不合格、教員にしかなる気がなかったのでひたすら臨採を待ち続け、待ちきれなくて冬に声をかけていただいた今の学校で働いているという次第です。

Twitterでは教職のことボロクソいってますが、最初は先生になりたかったんですね。

非常勤講師とはいえ、高校生のころから教員にはなりたいと思っていたので夢はかないました。

ですが、非正規雇用なのでお給料も少ない・福利厚生もあまりない、長くは続けていけない形態だなと思ってました。安心できる職ではありませんでした。

目標は公立学校の先生になることだったので、教採の勉強はしないと!とぼちぼちしていたわけです。

2020年はコロナのせいで休校。4~5月休校だったので教採の勉強はそれなりにできました。ですが、いざ6月から仕事が始まるとまあ大変。私それまで塾講師とか一切やってこなかったんですよね。めちゃくちゃ大変でした。仕事で疲れ切ってしまって勉強は全くできず、さあ7月、一次試験になってしまいました…

 

結果は一か月後の8月でした。力を出し切り、まああれだけ勉強したからいけるっしょと思いながら期末テストやら成績処理に追われ、あっという間に8月----------。

落ちました。一次で。しかも惜しいとかではなく、圧倒的な不合格。

しかも去年より全体の点数は下がってました。本当につらかった…。

勉強する時間があれだけあったにも関わらず、2年連続で筆記で落ちたというのは本当にショックでした。このことを受けて、私はもう公立の高校の先生を目指すことを辞めました。来年以降続けてももう無理だ。それがその時の決断でした。

 

それで、中学に鞍替えしようか私立に鞍替えしようか悩んでいたさなか、母が

「地元の市役所、まだ試験やるらしいよ。急いで出して受けてみなよ。」

と言ってきたわけです。その時は公務員になる気はあまりなく、母親があまりにも言うのでしぶしぶ出願の準備をはじめました。(まさかの今年3月以降に発行された成績証明書が必要だったりして、急いで大学に書類を申請したりして大変だった記憶があります。みんなは早めに準備しようね!)(その時出した履歴書がひどい状態だったので後で見てください。Twitterに載せます。)

 

ということで、私が公務員試験を受けたきっかけは母に勧められたからでした。

とりあえずギリギリ出願に間に合ったので、私はまた教員の就活を再開します…

 

中学の教採は全く分からないので中学教員をしている友人に聞き、また大学の先生とZOOM面談をしていただく約束を取り付けました。で、私立の募集も見ました。自分がいいなと思える高校の募集はなく、また私立は高校によって労働条件が異なるので、オンライン説明会などに参加しましたがわからずじまいでした。

そのため、ZOOM面談で大学の先生に助けを求めよう!という結論になりました。質問したいことも用意していざ、相談を開始すると、現実はとても厳しいものでした。

➀中学に行っても受かるかどうかはわからないし、倍率が高い

②私立も働いてみないとわからないし、仕事量は多い(学校説明会など)

教員を続けたい気持ちが強かったのですが、この相談で正規教員になるのはこんなにも難しいのかと絶望的になりました。(厳しい中、頑張って目指されて結果を出されている先生方はもちろんいっぱいいると思います)

本当にうまく結果が出るかわからないのに来年も教員を目指していくのか。

私はそこまで頑張れる強い思いがないなと思い、教職以外の就職を目指すことにします。受かるかわからないけど、まずは地元の市役所!と勉強を試験の1か月半まえからぼちぼち始めていくことにしました。

 

➀夢破れるまで~おわり